エピソード#6 銀幕のように:ビウラの宣伝素材
蔵から、ビウラの宣伝に使われた写真の束が見つかりました。まるで洋画のワンシーンのような、モノクロの美女たち。昭和初期の広告づくりの舞台裏がのぞける資料です。
映画が「最先端のメディア」だった時代
ビウラが発売された昭和5年(1930年)ごろ、映画は人々の憧れを一身に集めるメディアでした。
ちょうど映画が、音のない「サイレント」から、音の出る「トーキー」へと移り変わる時期です。ハリウッドではトーキーが急速に広がり、日本でも昭和6年に初の本格的なトーキー映画『マダムと女房』が公開されています。スクリーンに映る海外のスタアたちの髪形、服、そして目元が、そのまま流行の手本になっていきました。
ビウラの宣伝素材は、そんな銀幕の世界をそのまま広告に持ち込んだものです。
洋画のポスターのような広告

大きく写した女性の顔に、直線的なデザイン文字の「ビウラ」。光の筋が文字から差し込む構図は、映画のポスターそのものです。「夢見るマツ毛!魅惑のマツ毛!」というおなじみのコピーも見えます。

光の筋が映す時代の空気
「ビウラ」の文字の後ろから、光の筋が力強く放たれる構図。斜めに走る直線と、明暗をくっきり分けた画面づくりは、1920年代にロシアで生まれた「構成主義」のデザインを思わせます。
昭和5年当時、構成主義はヨーロッパから伝わったばかりの、最先端の前衛デザインでした。ビウラの広告は、その新しさをいち早く取り入れていたことになります。
ところが翌年の昭和6年には満州事変が起こり、時代は大きく動き出します。そして構成主義の力強い造形は、やがて人々を一つの方向へ導く国の宣伝ポスターにも使われていきました。
憧れのスタアを描いた華やかな広告。いま振り返ると、その光の筋には、これから訪れる時代の気配が、すでに映り込んでいたようにも感じられます。

この広告では、日本語が「具粧美のげつま」と右から左へ書かれています。戦前は、横書きの日本語を右から読むのが一般的でした。英語の筆記体は左から、日本語は右から。ひとつの広告の中に、2つの向きの文字が同居しているのも、この時代ならではの面白さです。
女性がビウラを目元にあてた写真では、カーラーにくっきりと「BEAULA」の文字が入っています。使い方を見せる手描きのイラストもあり、写真とイラストを使い分けながら宣伝素材をつくっていたことがわかります。
よく見ると、写真の中のまつ毛は、筆で描き足して強調されているようにも見えます。目元を主役にするための、当時の職人の手仕事です。
化粧箱入りのビウラ

製品写真には、金具と鎖のついた立派な化粧箱に収まったビウラが写っています。#04で紹介した紙箱とは別の、贈り物にもなりそうな上等な仕立てです。
憧れを届ける
ビウラの宣伝素材が描いていたのは、単なる道具の便利さではありません。スクリーンの向こうの美しさ、海外の新しい流行、そして「こうなりたい」という憧れそのものでした。
映画が夢を運んでいた時代に、その夢を目元から身近なものにしようとした。モノクロの写真の束から、当時の啓芳堂の挑戦が伝わってきます。
※ビウラの販売及び商標はビューラー社の岡本求馬氏が引き継ぎ現在”ビューラー”の登録商標は岡本和久氏が保有しています。




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