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エピソード2 蔵の一番奥にあった『本草綱目』

10 時間前
読了時間: 3分

啓芳堂の蔵の、一番奥の棚。埃をかぶった箱入りの本が並んでいました。背には『頭註國譯本草綱目(とうちゅう こくやく ほんぞうこうもく)』。創業者が買い求めた、薬の百科事典の全集です。



『頭註國譯本草綱目』(春陽堂刊)。第1冊「序例」から第15冊まで並んでいますが、1冊だけ欠けています。



埃の下から現れた金色









布張りの表紙に植物の図案。本の上の小口には金が施されています。

箱も本も埃にまみれていましたが、掃除をしてみると、その美しさに驚かされました。布張りの表紙に植物の図案があしらわれ、ページの上の小口には金色が輝いています。

ボロボロになっていたシアーズのカタログ(#01)とは違い、中のページは驚くほどきれいなままでした。大切に扱われ、大切にしまわれてきたことが伝わってきます。


『本草綱目』とは



『本草綱目』は、中国・明の医師、李時珍(りじちん)がおよそ30年をかけてまとめた薬物の百科事典です。草や木、鉱物、魚、獣、さらには人に関わるものまで、薬になると考えられたあらゆるものを分類し、名前の由来、産地、性質を記しています。

江戸時代に日本へ伝わり、日本の「本草学」の礎となりました。薬に携わる者にとっての原点ともいえる書物です。










昭和の学者たちによる日本語訳


白井光太郎による序文。昭和4年(1929年)4月の日付と、朱色の落款が押されています。

















考定者には植物学者の牧野富太郎の名前もあります。

第12冊の奥付。昭和6年(1931年)11月15日発行。


漢文で書かれた原典を日本語に訳し、ページの上の欄に注釈(頭註)を添えたのがこの全集です。監修と翻訳は植物病理学者の白井光太郎(しらい みつたろう)と鈴木真海(すずき しんかい)です。考定(内容の検証)には、「日本の植物学の父」牧野富太郎も名を連ねています。

白井光太郎は昭和4年4月付の序文で、読者がこの本から東洋の医薬の精髄を学び、実地に役立てるなら、自分たちの努力も国を利し、人々の苦しみを救うことにいくらか役立つだろう、と記しています。




ページをめくると


草花、鉱物、虎や大蛇、鮫まで。素朴な挿絵とともに、言い伝えめいた記述も並びます。


なぜ創業者はこの本を買ったのか


この全集が刊行された昭和4年から6年ごろは、啓芳堂が大きく動いていた時期でした。昭和5年に「ビウラ」を発売し、続いて養毛剤「ミクロゲン」と脱毛剤「デラトン」を世に出します。毛に関わる事業を本格的に広げていった時期です。


 啓芳堂は漢方の会社ではありません。それでも創業者は、製薬会社として歩み出す自らの事業を象徴する「バイブル」として、この全集を揃えたのではないでしょうか。薬の世界の原点を書棚に置き、そこに連なる者でありたい。金色の装丁からは、そんな思いがうかがえる気がします。


行方不明の第9冊

ただ、全15冊のうち第9冊だけが見つかっていません。第9冊は果部と木部、つまり果実と樹木を扱った巻です。なぜこの1冊だけがないのか。誰かに貸したのか、仕事場に持ち出したまま戻らなかったのか、今となってはわかりません。蔵のどこかに眠っているのかもしれません。見つかったら、またこのアーカイブでご報告します。

 
 
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